23日、滅多に映画を観にいくことはありませんが、この映画は観ておかないといけないと思い阿南市まで出かけました。
1959年6月30日の「沖縄・宮森ジェット機墜落事故」、2004年8月13日の「沖縄国際大ヘリ墜落事故」などを通じ、平和とは何かを改めて考えさせられる映画だったと思います。
事実に基づいてつくられたそうですが、印象に残っているのが、自らもケガをし、同級生の死を目の当たりにした良太が、沖縄国際大学でのコンサートの舞台に立ち、涙ぐみながら訴えるシーン。「今日は、宮森小学校の、あの時の同級生、先生、一緒に遊んでいた下級生のお母さんも来ています。みんな大切な人をあの事故で亡くしました。あれからもう53年も経ったのに、あの日のことを忘れたくても一日も忘れられません。豊とは毎日遊んでました。茂と一平と4人でよ~く遊びましたよ。豊はで~じ食いしん坊で、何でも良く食べました。広子は大浦から転校してきました。可愛い子だったよ~。エイサーがとっても上手でした。隣の席だったのに、広子だけ死んで、私は・・・・、それと一平。一平2年生でした。給食のミルクがで~じ嫌いだって言ってからに・・・・ひまわりが好きでした。大好きな聡子先生にひまわりを渡して死にました。ブランコに乗って死にました。・・・・・・・・・あの日のことを・・・あの日のことを何度も忘れよう、忘れようとしました。だけど、忘れられるもんではありません。でも、間違っていたさ~。忘りて~ならん、絶対忘れてはいけんさ~・・・・・・ありがとう。あんたたちがいれば、絶対に沖縄は大丈夫さ~。青い平和な空が戻ってくるよ~。きれ~な青い海が戻ってくるさ~。みんなありがとぅねぇ」。
昨年暮れから、我が家の前を米軍の戦闘機が頻繁に飛ぶようになった。滅多に目にすることの無い人は、無関心でいても仕方がないかも知れない。また、アメリカが日本を守るために訓練しているのだなどと考えている人は、むしろ感謝しなければと思っているかも知れない。
しかし、12t以上の金属の塊が時速800kmを超えるスピードで低空飛行していれば、パイロットの一瞬の判断ミスなどで大事故につながることは間違いない。被害を受けるのは、無関心の人も、感謝しなければならないなどと思っている人も関係ない。ゲームでないから失われた命は元には戻らない。また、良太のように、命が助かったとしても、一生悲しみを背負った人生になるかも知れない。
大したことはできないけれど、一人の犠牲者も出さないように、政治に関わる者として今こそ力を尽くさなければと思う。犠牲者が出てから、いくら抗議しても失われた命は二度と戻ってきませんのでね。
「ひまわり 沖縄は忘れない」で検索してみてください。宮森小学校米軍機墜落事故のことが良く分かります。
今後、県内で何ヶ所か上映されるようです。是非ご覧になってください、おすすめ致します。