月別アーカイブ: 4月 2010
核兵器のない世界を 国際署名が牟岐町人口の一割を超えました
3日前、原水爆禁止徳島県協議会事務局より、「あと82筆で牟岐町は、目標を突破するので頑張って欲しい」との連絡があり、あちこちにお願いして署名に取組みました。 まだ、全体の集約は出来ていませんが、現時点で84筆が集まり、本日、牟岐町人口の一割を突破しました。
西浦地区
軒並み訪問し署名をお願いしました
断られたお宅は2軒だけで、ほとんどの方が、「ご苦労様」「大変やね~」って声をかけていただき、快く署名をしていただきました
なかには、「従業員にしてもらうから、後から取りに来て」って署名を預かってくださったお宅が二軒ありました。
目標は突破したけど、一割では、世論を盛り上げるのには少なすぎます。引き続き署名に取組みます。
夜、お願いしていた方より連絡が入り、本日、最終集約で、174筆の署名が集まりました。署名は、代表団により国連本部に届けられます。
大久保 昭さんとお別れしました
昨年6月頃より、間質性肺炎で入院療養していた大久保 昭さんが、4月12日、海南病院で亡くなった。
直接の死因は急性呼吸不全。享年76歳でした。
県立中央病院に見舞いに行ったとき、涙ぐみながら、「もうバイクには乗れないと思うから、党で使ってくれ」と言われ、バイクを2台いただいた。現在、牟岐町のOさんとUさんが、新聞配達、ビラ配布などに使わせていただいている。
その後、海南病院に移ったが、医師からは、「そう長くはない」と、家族に告げられていたようだ。
町外に嫁いでいる娘さんが中心になり、新しい家で療養して欲しいと建替えをしたが、とうとう家に帰ることができなかった。
昨年8月、海陽町で建築中の実家
見舞いに行ったとき、この写真を見せてあげた
家に帰って、女房と一緒に字を書く練習をしようと思っているなどと話していた
何歳の時(65歳位だろうか)の写真かは不明であるが、読書会に参加していた時の写真らしい。告別式に出席してくださった方が、「ええおっちゃんやった」と言ってくださったが、大久保さんらしさが出ている写真だと思う。
見かけはゴツイ感じだし、声もデカかったが、神経細やかで心の優しい方だった。子どもの頃は、勉強ができるような環境でなかったと、過去を取り戻すかのように良く勉強していた。新聞は、隅々まで読んでいたし、図書館で本を借りて良く読んでいた。また、独学で英語の勉強をしていた。 粘り強い人でもあった。不自由な足で、新聞配達、ビラ配りなどをコツコツ粘り強くやっていた。
釣りが好きで、アジ、グレ、アイゴなどを狙って浅川港に出かけ、沢山釣れたときには知り合いに配っていた。私も、もらったことがある。「ようけ釣れた」と嬉しそうに言っていた笑顔が忘れられない。
1年間の闘病生活だったけど、もう頑張りすぎるほど頑張ったと思う。奥さんが、配られたばかりのしんぶん「赤旗」日刊紙と数冊の本を棺に入れていた。ゆっくり休んでくださいね。
憲法のつどいに参加しました
4月11日、阿南市富岡公民館で「九条の会 阿南」主催の憲法のつどいが開催され、約100名の方が参加しました。
徳島市出身の津軽三味線シンガー、戸村 恵里(高橋 静玉)さんが駆けつけてくださり、さくら、よさこい節、津軽じょんがら節などを聞かせていただきました。戸村さんはラジオ番組でも活躍されているそうです。23歳ですってよ。頼もしい限りです。
事務局から経過報告、活動計画、申し合わせ事項などの報告がされました
元気バリバリの広間 智恵子さんです
「油断大敵」と題して、元徳島新聞論説委員長、岸 積氏の記念講演がありました。
民主党を中心とする新政権が誕生したことにより、改憲の動きが止まったように見えるが、自民党はもちろん、民主党、「新党」の改憲方針はそのままであり、決して油断してはいけない。
憲法九条の炎を消さないために油を断ってはならないのだ。
戸村、岸氏に交通費のみしか支払えないほどの財政難で、運営資金にしたいとのことだったので700円で購入しました
目に付くところに置いときます
牟岐小・中学校の入学式に出席しました