西の浜 防潮堤工事完成間近

 

                               こばり山からみた牟岐港 白く見えるところが西の浜 の工事現場

 

1946年12月21日未明 南海地震津波によってここまで浸水し、死者53名、負傷者38名、家屋流失109戸、家屋倒壊265戸、半小壊469戸、浸水778戸など大きな被害がありました。

 

はやいもので、「西の浜問題」がマスコミをにぎわしてから、6年ほどになります。 狭い地域の中で防潮堤の設置、浜の利用方法などで「推進派」「反対派」に分かれ、感情的な対立から、一部では相手を口汚く罵る場面もありました。 議会への住民の傍聴も多く、議会議員一期目の私にとっては、緊張の連続でした。 なかでも2002年3月議会は、忘れられない議会になりました。 傍聴席は「推進派」「反対派」の人たちで満席状態(いつもは数人)。

そして、「推進派」の議員が質問に立ったときには、傍聴席からごうごうたるヤジが。議長から注意されてもヤジが続きます。

 いよいよ私の番です。この日は「西の浜問題」のみに限った質問でした。その一部を議事録からご紹介します。

『西浦振興会の役員をされているある方が、 「考える会の考えには反対だけど、今の公共事業のあり方、津波対策を真剣に考える機会を町民に与えてくれたことは、大変良いことではないか」と私に語ってくれましたが、まさにその通りだと思います。今日、たくさんの方が傍聴に来てくださったのもそのことを示していると思います。また、町民の皆さんが行政任せではなく、漁港整備事業、津波対策を自らの問題として捉え、西浦部落会は基本的には計画を推進し、考える会は計画変更を求め、それぞれの運動をされています。このことはあなたがよく口にされている地方自治の芽生えであるし、地方自治の大事な中身でありますので、行政としては歓迎すべきことであります。ただ、このエネルギーを結集し、より良い漁港整備、津波対策に仕上げていくためには、町長、あなたの頑張りが問われている訳であります。考えてみれば、一般的には推進派、反対派などといわれていますけれども、津波対策の強化という点では一致しておりますし、石垣堤を残せという点でも一致しております。

           津波襲来後、造られた石垣提。専門家からは、液状化現象により破壊されることが指摘されている。

私たちが戦う相手は部落会でもないし、考える会でもない。戦う相手は津波だということを分かっていただけると思いますので、問題解決の第一歩としてお互いの主張をぶつけ合い、その主張を一つひとつ科学的に検証しあう場を町のイニシアティブでつくる必要があるのではないか』

『専門的な知識を持った人が作った計画だという立場で、県の計画を説明するだけでは、今の時点では問題を解決することはできません。部落会からも考える会からも計画変更の要望が出ています。県の計画に固執せず、住民から出た良い案は取り入れ、県に計画変更を求めるという姿勢をまず明確にすべきだ』

と質問しました。町長からは明確な答弁がなく、再問。しかし、やはり明確な答弁なし。たまらず議長が議事を止め、16分間小休止。

再開後、町長は混乱の責任を認め、住民の合意のために話し合いの場を準備し、県にも要望を伝えると答弁しました。

ところがその後も町の動きが見えず、6月議会でもこの問題を改めて取り上げました。以下議事録の一部です。

『双方が牟岐町の将来を心配しての対立ですから、話し合えば必ず前進の道は開けるはずでございます。しかし、その話し合いを双方が自主的にできないのであれば、町当局が乗り出すことは当然であります・・・・・しかし、あなたはその努力をしていないではありませんか。そのような態度を言行不一致・・・あなたがこのような態度を取る限りこの事業が円満に進められるとは思えません・・・態度を改め話し合う場を早急に持っていただきたい』

と質問しました。結局、漁協関係者、住民代表などの「牟岐漁港整備津波対策協議会」が設立されたのは2004年2月27日のことでした。この協議会の論議をもとに現在の計画ができ上がり、県の計画は大幅に変更されました。

 

 

 

 

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はじめまして

はじめて、ブログを開設するということで、ちょっとドキドキしてます。
 
私は、徳島県の県南、きれいな海と川そして山に囲まれた小さな町、牟岐町で議員として、日々私なりに町民が主人公の町づくりをと、頑張っています。
そんな日々の中で、思ったこと感じたことを議会報告も交えながら、綴っていきたいと思っています。
 
それから、「牟岐町って、こんな町」っていうのも少しずつ紹介できたらなあって思ってます。
 
よろしくお願いします。